震災その後+卒業式

 ああそろそろブログを更新しなきゃな、と思っていたころ、大震災が起きてそれどころじゃなくなった後、しばらく書く意欲を失い、今日に至ります。ようやく書くことができる精神的余裕が出てきました。

 僕の住む場所では震度6弱、十分な恐怖でした。研究室は転倒防止を施したスライド書棚4本が、倒れることはなかったものの、歪曲して前方へと傾いた状態で止まっています。そのままだと危険もあるし、また吹っ飛んだ本をその書棚に載せるわけにもいかず、デスクや椅子などに平積みにしているため、現在のところほとんど在室不能に。大学図書館も当面閉館ということで、ちょっと研究難民状態。

 でもまあ、自宅の方は大きな被害はなく(でも僕が愛用しているビール用グラスは落ちて割れてしまった(苦笑))、家族もみんな元気だったし、良かったです。震災から数日間は断続的に断水したのがちょっと不便でしたが、現在のところほぼ日常生活。ガソリンが手に入らないことくらいでしょうか。

 大学内は、さまざまなところで被害があったらしく、講堂も使えないということで、本来なら今日あるはずだった卒業式も中止に。学部別の学位授与式もすべて中止。これは残念だな、と思っていたら、なんと我が学部の卒業生たちは、有志で集まり、ホテルを会場として、先生たちも招いて、自前の卒業式(学位授与式)を敢行したようです。

 すごいことですよね。僕は都合で行けなかったので、代わりに卒業生へのメッセージを送りました。会場で読まれたかどうかわからないので、全文をここに載せておきます。

・・・卒業生の皆さんへ・・・

何かの授業の時に話したことがあると思いますが、僕たちの世代と君たちの世代は、時代経験が似ています。僕も大学時代に、バブルがはじけ、就職氷河期でした。僕が大学三年生の時にも、政権交代がありました。そして、大学四年生の時には、卒業直前に、阪神大震災がありました。原発の事故は無かったけれど、地下鉄サリン事件がありました。大きな社会的不安と動揺の中での船出でした。
いま自問するのは、そういう不安な時代の中にあって、僕たちの世代は、希望を灯す存在たり得たかということです。たぶん、できなかったし、いまもできていないんじゃないか。失ったものの大きさに立ち尽くし、新たなものを作り出すことができなかった。その証拠に、僕たちの世代は、「ロストジェネレーション」というレッテルを貼られてしまっています。
だから君たちには、僕たちの失敗を繰り返さず、希望の光を灯すような存在になって欲しいと思います。失ったものを振り返るのではなく、新たなものを作り出していってほしい。でもたぶん、君たちなら大丈夫だと思う。その証拠に、卒業式を失ったことに屈せず、自分たちの力で、こんな素晴らしい卒業式を「作りあげている」じゃないか。これは僕たちにとっては嬉しい驚きであり、このエネルギーこそ、僕たちに欠けていたものなんじゃないかと、再認識させられています。だから、君たちなら大丈夫。
もちろん、希望の光を灯す役割を、君たちだけに押し付けるつもりはありません。僕たちも、頑張って行こうと思う。だから、一緒に頑張って行こう。
卒業おめでとう。